幻の共栄、転回する台湾
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•台湾歴史博物館 提供 •台湾歴史博物館 提供

1937年7月、中日戦争が勃発し、台湾総統府が全面的に皇民化運動を推進した。1943年、台湾文学奉公会が設立されると、皇民文学会議と文学集の出版に力が注がれた。中国にも日本帝国の勢力が拡大すると、「日支一家」が強調され、中国の古典文学の日本語訳にも着手されるようになったが、これも台湾人作家が迎合的な政策文学を避けるための手段の一つであった。そしてお茶の間で読まれるような通俗的な書物『風月報』や『南方』もまた、作家たちの発表の場の一つとなったのだった。

1945年8月15日、日本の天皇が敗戦宣言を発表したことによって、大東亜共栄圏の幻想も終わりを迎える。しかし、日本に次いで国民政府がやってきたことで、台湾はさらに新たな政権に「転回」された。1960年代になるまでは、台日間の交流は少なかったが、1964年6月に創刊された『笠』をとおして、台日は改めて交流をし始めた。台湾作家は翻訳をとおして戦後の世代に日本文学を紹介した。この時はさらに英米文学も『現代文学』グループを媒体に台湾で紹介されるようになり、台湾人はこのようなやり方で世界文学を受容するようになったのだった。

このエリアでは、「決戦期の想像の共同体」、「異郷が故郷になる」、「翻訳と転回」をテーマにして、時局の変遷を紹介しよう。