「哈日病」(日本マニア)から「知日派」(親日派)へ
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「哈日病」(日本マニア)から「知日派」(親日派)へ 「哈日病」(日本マニア)から「知日派」(親日派)へ

1996年、漫画家、阿杏の『早安日本』(おはよう日本)という四コママンガにおいて初めて「哈日病」(日本マニア)という言葉が用いられた。それ以降、「哈日」という言葉が流行し、生活や娯楽、思想など様々な面において日本の文化に憧れを持って真似をする社会現象を指すようになった。もちろん、台湾が日本に対してこれほど「ぞっこん」になっているのは1990年に始まったことではなく、もっと早い時期からその傾向があったはずである。社会情勢の変化とともに、台湾人は日本の文化を羨望し、憧憬することに留まらず、日本特有の文化伝統や財政状況などについても分析し、理解しようとした。このことが自らを反省し、鑑みる材料となったのだった。そこで「日本を理解している」、「日本を知っている」ような「知日派」(日本通)が生まれたのである。ここでは、台湾人の「哈日」と「知日」という考え方をもとにして、日本について私達は何が「哈」(好き)で、また何を「知」っているのかを読者とともにチェックしてみよう。