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『第一線』、1935年。黄得時寄贈。
この雑誌は1935(昭和10)年1月に創刊され、一期しかない。『先發部隊』2号から『第一線』へと誌名変更し、台湾文芸協会から出版され、編集は廖漢臣であった。『先發部隊』の性格を継承し、新文学の形式を論じ、プロレタリア文学の提唱を訴えている。黄得時は巻頭の言葉「民間文学の認識」において、台湾は民間文学への関心と認識が欠けていると述べており、そのため『第一線』は「台灣民間故事特輯」を企画し、廖毓文、李獻璋、陳錦榮、蔡德音らによって台湾各地から収集した民間の物語と伝説15篇を収録している。この号には、さらに二篇の伝説と民謡についての評論も収録されている。
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平澤丁東『臺灣の歌謠集と名著物語』、1917年。龍瑛宗寄贈。
平澤平七のペンネームは平澤丁東で、1900年に台湾に渡って、台湾総督府編集課に勤めていた。台湾の民俗を考察することをとおして民衆の言葉と生活を理解し、台湾を統治する際にはこれが重要な仕事であると主張している。
この本は最初の台湾民俗の歌謡の集大成であると論者は主張している。1917年に発表され、台北晃文館から出版された。台湾の歌謡、物語、歴史小説などが収録されている。その中で歌謡は「俗謡」と「童謡」に分類されており、全部で二〇〇あまりの歌が収録されている。この本に収録されている史料は多くが文字だけであり、曲がない。平澤丁東は歌謡と物語を収集する目的として、「文学は民衆の感情の記録であり、文学をとおして民衆の言葉と思想を理解することができる。統治するにあたって、現地の文学を理解することは重要である」と述べている。
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『民俗臺灣』1卷2号、3号、1941〜1942年。龍瑛宗寄贈。
この雑誌は1941(昭和16)年7月10日に創刊され、台北の東都書籍株式会社から出版された。日本人の版画家で作家の立石鉄臣や池田敏雄、金関丈夫などが中心人物であったほかに、台湾人の作家、例えば楊雲萍や黃鳳姿、黄得時らも参加していた。この雑誌は台湾の民俗と民俗学の専門誌で、皇民化運動および軍国主義の戦時下においては独特の色彩を呈していた。雑誌のテーマには、冠婚葬祭、節句祭典、占い、呪術、民間禁忌と生活信仰、生命礼儀、社会習慣、台湾語と諺・伝説、遊戯競技、民芸戯曲、民俗医療、民族文化、民俗学討論などがあった。3年7ヶ月で43号が発行され、台湾民間文学の重要な文献になった。
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『民俗臺灣』1卷2号、3号、1941〜1942年。龍瑛宗寄贈。
この雑誌は1941(昭和16)年7月10日に創刊され、台北の東都書籍株式会社から出版された。日本人の版画家で作家の立石鉄臣や池田敏雄、金関丈夫などが中心人物であったほかに、台湾人の作家、例えば楊雲萍や黃鳳姿、黄得時らも参加していた。この雑誌は台湾の民俗と民俗学の専門誌で、皇民化運動および軍国主義の戦時下においては独特の色彩を呈していた。雑誌のテーマには、冠婚葬祭、節句祭典、占い、呪術、民間禁忌と生活信仰、生命礼儀、社会習慣、台湾語と諺・伝説、遊戯競技、民芸戯曲、民俗医療、民族文化、民俗学討論などがあった。3年7ヶ月で43号が発行され、台湾民間文学の重要な文献になった。
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朱鋒「鴨母王」、手稿、1930年代。莊明正提供。
朱鋒(1910〜1974)の本名は莊松林で、ペンネームには尚未央、赤嵌樓客などがある。台南生まれである。台湾文化協会のメンバーであり、1930年代に社会運動に参加し、左翼雑誌の編集にも関与しており、その中には『反普特刊(反プロレタリア特集)』『赤道報』などがあった。『臺灣新文學』に作品が発表されており、その多くは社会主義運動家の心境をテーマにしたものである。1930年代後半、莊松林は民間文学の創作に没頭し、台南地区の民俗、伝説、文献などの史料をまとめた。
「鴨母王」は李獻章『臺灣民間文學集』に収録されており、莊は民間伝説を収集して本にまとめた。この本において、「鴨母王」という人物は従来の「匪徒」としての理解とは異なり、非漢族主義の清朝を倒し明朝を復興するものでもなく、庶民史という観点から世直し一揆を行う者として描写されている。台湾語の諺なども引用しており、それがローマ字表記で記されている。