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吳新榮著、張良澤編集『吳新榮日記』(戦前)、1981年。李魁賢寄贈。
呉新榮(1907〜1967)は字、史民、号、震瀛、ペンネームには琑琅山人、世外居士などがある。台南生まれである。医者であり、文学者でもある。主な活動は詩作と随筆である。
呉は長年、日記を記す習慣があり、現在出版されている『呉新榮日記全集』には1933年から1967年までの生活が記録されており、当時の文人活動や本の感想、病気の記録、時局の観察、時事に対する関心などが詳細に記載されている。日本統治時代には、麻雀や宝美楼、百貨店、博覧会、森永、銀座、珈琲店、映画など十数個のキーワードがよく登場している。この作品はまるで当時の台湾の日常生活の百科全書のようになっており、われらに当時の大衆の生活ぶりを覗くためのヒントを与えてくれた。
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尾崎紅葉『金色夜叉』、1969年。
尾崎紅葉(1868〜1903)は本名、徳太郎で江戸(現在の東京)生まれである。小説家。日本文学社の硯友社の中心人物であり、門下には泉鏡花、徳田秋声などの四大弟子がいる。ロマン主義と写実主義の作風で心理描写に長けている。
『金色夜叉』は恋愛と金銭問題を中心に、明治期の日本が資本主義に傾いていく様子が反映されており、金権主義至上と「貧を嫌い富貴を愛す」という社会現象が描かれている。小説は1897年1月1日から1902年5月11日まで『読売新聞』で連載されていたが、作者が亡くなったために作品は未完となった。この小説は何度も映画化されており、台湾においては1963年に林福地監督によって撮影され、台湾語の映画の代表作の一つとなった。
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濱田隼雄著、黃玉燕訳『南方移民村』『台灣新聞報』、2003年5月13日。黃玉燕寄贈。
濱田隼雄(1909〜1973)は、宮城県出身で小説家。日本統治時代では台湾で14年間暮らしており、当時の文壇で活躍していた。
日本では、台湾東部への移民事業は1909年に始まっており、当時の花蓮港に吉野、豊田、林田という三つの官営移民村が設立されていた。『南方移民村』においては、「台東製糖株式会社」が私営しているさとうきび畑の移民村「鹿田村」を舞台に、日本の東北の移民農夫が大正4(1916)年に村が建てられて以来、東台湾で風土病、天然災害、虫害の襲来などと闘っている様子が描かれている。この小説では、詳細かつリアルに日本の貧しい移民たちが製糖会社に搾取されている様子のほかに、台湾に根を下ろして生活する移民たちの感情も描かれている。
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欧陽菲菲『雨の御堂筋』、1971年。
欧陽菲菲(1949〜)は台北生まれの人気歌手である。1970年代前半にデビューし、曲風は多種多様で、躍動感ある演出や独特の服装とスタイルで人気を博した。
『雨の御堂筋』は、欧陽菲菲が1971年に日本で発行した最初のシングルで、リリースしてすぐ九週間もオリコン一位を保持し、アジアの芸能界の関心を集めた。同年の末に、日本レコード大賞の新人賞に受賞し、初めて日本人以外の人がこの賞を受賞したことになる。その後、大阪で初めての個人コンサートを行い、二年連続でNHKの紅白歌合戦に出演し、紅白史上初の外国人シングル歌手であり、初めて紅白に登場した台湾人でもある。